インタビュー

ライター

殿井 悠子


12の宮崎牛家族を取材されて、共通するものなどがあれば教えてください。


農家のみなさんに共通していたのは、牛の生活に合わせて、規則正しく暮らしていたことです。朝6時には起きて、掃除と餌やり、お昼を食べて昼寝を少し。それから、14頃頃に2回目の掃除と餌やり。翌日の準備をして帰宅、お風呂、夕食、夜22時には就寝。
真夏の宮崎での密着取材は、滝のように汗が止まらず、まるでサウナにいるようでした。でも、農家のみなさんは、うだるような暑い日でも、雨風が吹き荒れるような台風の日でも、365日、そのリズムを崩さず。
農家さんへのインタビューから、よく寝て、よく食べる牛が、イイ牛に育つ条件だと教わりました。その暮らし方を、みなさん自身で実践されていました。

農家さんごとに違いを感じたのは、牛への愛情のかけ方です。ある農家さんは、箱入り娘を育てるように、ふかふかの寝床を用意して、栄養バランスを綿密に計算した餌を腹八分の量であげていましたが、別の農家さんでは、わんぱくな男の子を育てるように、野趣溢れる牛舎の中で、お腹いっぱい満たされるまでたんまり餌をあげていました。

「宮崎牛」ブランドの条件を満たす中でも、牛の性格や表情が一頭一頭異なるのは、農家さんが家族の一員として、牛を育てているからなのだと感じました。



写真集では、牛に愛情をもって育てている農家さんの姿が写し出されています。その牛が「宮崎牛」として、たくさんの方に食べられる時の農家さんの気持ちを、どのように感じとられましたか。


食べるために育てることについて、一度は葛藤する気持ちがあったと、多くの農家さんがお話されていました。だからこそ、「いつも精一杯、牛と向き合っているか」と、日々問いかけるそうです。

生き物である以上、食物連鎖から外れることはありません。食べられるという使命を持った牛。1カ月間にわたる密着取材の前半では、農家さんや牛の気持ちについて、私自身もどう捉えればよいのだろうかと葛藤がありました。

その迷いに答えが出たのは、シンプルに暮らす農家さんたちが刻む、心地よい牛養いのリズムの中で、「どんな牛に育っても、牛のせいにはぜったいにしない」という農家としてのプライドが見えた瞬間でした。どんな環境であっても、どんな宿命を背負っていても、愛情をもって育てられたならば、その牛は生きることに幸せそうに見えました。

牛を育てることは、人が生きること。

これが、「宮崎牛家族」の取材を通して私なりに見つけた、農家さんの牛への愛です。



宮崎牛を育てる農家さんの魅力は何だと思いますか。


命の重みを、誰よりもどこよりも知っていること。

2010年、宮崎では口蹄疫が発生し、297,808頭の牛が命を失いました。「食される死と殺される死は違う」。農家さんが発したこの言葉が、心にずしっと響きました。

「牛は裏切らない。愛情や手間暇をかけた分だけ応えてくれるんです」と、笑顔で話してくれた農家のみなさん。手塩にかけた牛の命を失ったときは、心が張り裂けるような気持ちだったと思います。その当時は、口蹄疫の非常事態宣言が全面解除されるまで、家からほとんど出ることなく、牛養いの仲間同士で「もう一度、育てられる日がきっと来る」と、電話で励まし合っていたそうです。

こうした経験があるからこそ、宮崎牛農家さんたちには、大きな壁を一緒に乗り越えてきた仲間同士の結束力がありました。そして、自分たちで育てた牛に対して、誇りと、揺るぎない自信を感じました。

「宮崎牛」というブランドを、みんなで守っている。

命を尊ぶこの情熱が、日本一の牛を育てる宮崎牛農家さんたちの一番の魅力だと思います。









ライター

殿井 悠子

山口県下関市生まれ。奈良女子大学大学院人間文化研究科修士課程修了。ケースワーカーとして3年半介護現場で働いたのち転職し、編集プロダクションに入社。2016年独立、noi株式会社を設立。前職の経験を活かして約10カ国の高齢者施設を取材し、小学館web「介護ポストセブン」にて取材記事を連載中。その他、東京大学高齢社会総合研究機構にて講演、「渋谷区100人カイギ vol.1」でゲストスピーチ、Abema TV「Wの悲喜劇 介護ほど素敵なお仕事はない」ではコメンテーターとして出演する。書籍・雑誌媒体では、CCCメディアハウス「pen」の海外版立ち上げに関わる他、マガジンハウス、小学館などの女性誌やムック本を制作。日本文化を担う職人などに密着した取材記事を多く手がける。最近ではクリエイティブディレクターとして、企業のブランディングやまちづくりのPR担当などでも活動中。







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